3月14日の中日VS埼玉西武のオープン戦で松坂大輔が登板。
かつての盟友である松井稼頭央との対戦にライオンズファンは感慨深いものがあったのではないでしょうか。
目次
この日の松坂のピッチング
少しでも多くこの二人の対戦をファンが見られるようにという辻監督のはからいで、1番に松井稼頭央が入りました。
結果は2打席とも右飛で、1打席目は初球、2打席目は2球目ともう少しじっくり楽しみたかったですね。
この日の西武の先発もエースの菊池ということで、新旧エース対決でもあったのですが、菊池は寝違えの影響で1回で降板となってしまいました。
この二人の投げ合いをもっと見たかったのですが、この時期なので無理は禁物。
楽しみは交流戦に、ということですね。
松坂は3回を投げて被安打3、与四死球5,奪三振2、自責点2で球数は76球と制球に苦労していました。
映像を見た限りでは、そこそこ球は走っていた印象で、特にスライダーはまともに捉えられていなかったのはさすがでした。
まともに打たれたのは源田の2本と浅村のタイムリー1本。
次回、もう少し長いイニングを見てみないとわからないですが、何とかカタチにはなりそうに見えました。
この日対戦したバッターで、松坂がライオンズにいた頃に一緒にプレーしていたのは松井稼頭央と炭谷だけ。
この日出ていなかった中村と栗山を含めても4人です。
むしろコーチの方が多いですね。
土肥、西口、佐藤友亮、高木浩之、許銘傑、野田、黒田、赤田(他にもいたらスミマセン)。
11年という歳月があったとしても、あらためて新陳代謝の激しいチームだなと思いますね。
松井稼頭央と松坂大輔がいた頃のライオンズ
その中でも松井稼頭央との対戦は感慨深いものがありました。
一昨年のソフトバンクと楽天の試合で実現はしているものの、やはり松井稼頭央がライオンズユニフォームを着ている今回の方が思う所があります。
この二人は1999年から2003年までの5年間一緒にプレーしています。
もう少し長くやっていた印象もあるのですが、5年間だったんですね。
この頃は最初の黄金時代が1994年に終わったあとの、次の隆盛期で毎年のように優勝争いをしており、今と違って毎年Aクラスが約束さていたような時代でした。
その間の順位は2位、2位、3位、1位、2位とすべてAクラスでしたが、優勝したのは2002年の1回だけで、日本一はありませんでした。
この二人を中心に西口、和田、カブレラ、伊東、豊田などタレントはそろっていたので、もう少し優勝していてもおかしくはなかったと思うのですが。。
それでもこの二人がいた頃のライオンズは、私にとっては第2の黄金期として今も印象に残っています。
私と松坂大輔
実は私と松坂とは相性がよくありません。
松坂が登板する試合をこれまで6回ほど観に行っているのですが、1回も勝った試合を観たことがありません。
それだけならまだいいのですが、6回のうち5回は何らかのアクシデントで途中降板しています。。
2002年なんて、それまで開幕から6連勝中だったのに、私が観に行った当時大阪ドームの近鉄戦でヒジを痛めて途中降板。
その後は中々回復せず、ぶっつけで臨んだ日本シリーズで打たれるという松坂にとっても散々なシーズンでした。
自分がいなくてもチームは90勝をあげて独走したシーズンでしたので、疎外感もあったんじゃないでしょうか。
まあ、松坂にとっては私が疫病神だったのかもしれませんが^^;
まとめ
松井稼頭央と松坂大輔。
もうこの二人もベテランになり、松井稼頭央なんかは私と同い年で今年43歳になりますから、超ベテランです。
かたや同じ43歳でも税理士だとまだ若手の部類に入りますが。
リーグが違うので、この二人の対戦は交流戦と日本シリーズとこの先それほど回数は見られないでしょう。
ひょっとしたらこれが最後になるかもしれません。
今年はこの二人の1打席、1球を目に焼きつけておきたいものです。
◆編集後記◆
とりあえず昨日で確定申告は終わりました。
まだまだ件数が少ないながらも時間管理には苦戦しましたね。
来年に向けて反省をしないといけません。
確定申告の申告期限は終わったものの戦後処理はこれからなので、もうひと踏ん張りです。
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山端一弥
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